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第6章 4C論:文明選択権理論

4C論 文明選択権理論

本章では、4C論という新文明創設のための理論を展開していきます。

この4Cというのは、The Citizen Can Choice his/her Civilizationの4つのCをとって名付けました。日本語にすると、「市民は自らの文明を選択できる」という意味になります。ただし、これだと長いので、4C論は「文明選択権理論」と訳したいと思います。

本章は、2C論や3C論と違って、理論的な考察から現在から未来にかけて、市民がそれぞれの文明を選択するような時代が来るのではないかという予想を述べています。

「文明の枠」:文明は何に制約を受けるか

まず、4C論の議論の前提として、「文明の枠」という概念を提起しなくてはなりません。この文明の枠というのは、仮に文明が目に見えるようなものであったと考えたときの、文明の境界線を意味するものだと考えてください。ただし、境界線といいましたが、文明の境界線は、3C論から現代では思想により構成されていると思われることから、国境のような目に見える形では存在しません。しかし、ここでは議論を深めていくために、たとえば文明Aと文明Bのような存在があった時に、その文明Aと文明Bの間に何かしらの境界線があるとして、その境界線が「文明の枠」ということになります。

ここで、古代や中世までの文明の枠を考察してみたいと思います。人の移動手段が圧倒的に人力に頼っていた時代、文明の枠というのも自ずから人の移動可能領域という制約を受けていました。つまり、古代から中世までの世界ではある文明の枠というのは、その文明の枠内で人が気軽に行き来できるレベルの範囲でしかなかったのです。また、船や馬車などの移動手段があったところで、それを操作操縦しているのは人の力になります。したがって、古代に帝国的な文明圏を築いていたペルシャ帝国やローマ帝国、あるいは唐帝国のような存在においても、文明の枠がどこまでであったかと考えると、支配地域の人たちが人力で到達できるエリアに限定されていたと考えるべきでしょう。つまりは、物理的・地理的に文明の枠が限定されていたとみることができます。

これに対して、時代が進んだ大航海時代にかかってくると、風力を人間が移動に利用するようになり、航海術も発達して外洋に人間が出られるようになります。海上輸送が一般化し、人間も船に乗ってどんどん移動・移住する時代の到来です。まずは、イスラーム商人たちが活躍したインド洋において、そして時代が下るとヨーロッパのスペイン・ポルトガルの船が海を駆け巡って活躍するようになります。この時代の特徴として顕著なことは、文明の枠が宗教的な野心と関係していたことでした。特にイスラム教とカトリック教の版図の広げ方は宗教の布教活動と密接に関係していました。自国とは海によって隔絶された地域に植民地や港を作っていく過程で、宗教的な連帯を重視したことが見てとれます。ちなみに、スペインやポルトガルなどの国は、アメリカ大陸という新世界を発見して一気に勢力を拡大させます。その際に、現地原住民を大量に虐殺したことはよく知られていることですが、彼らがその虐殺を正当化したのも、キリスト教的宗教心を持たないから現地人は野蛮人であるからとしたのが理由でした。後世になって、被征服者の彼らも立派な文明を持っていたことが分かっていますが、今となってはその大部分が喪失してしまっています。

さて、さらに時代は進んで、今度は近代の世界です。この時代は、産業革命や動力の発明などにより、大航海時代の時よりもさらに人々の移動は煩雑になりました。蒸気機関や汽船も登場し、人々の移動の速度や効率は大幅に上昇しました。そして登場するのが、植民地主義と重商主義、そしてナショナリズム(国家主義)です。このころになると、現代社会にまで通じている文明の思想が登場し、その思想の産物が社会と経済を構成するようになりました。鶏が先か、卵が先か、議論のあるところですが、現代社会にまで通じる文明の基礎的な思想はこの時代にその多くが体系化されたことも大きな特徴です。そして、このころには「文明国(civilized country)」という言葉が政治やジャーナリズムの間で使われるようになります。つまりは、思想的な事柄が要件として整理され、文明国であるという構成要件を整えた国家ほど、文明的であるという考え方が主流になります。宗教的な考え方がベースにはなっているものの、自由主義や民主主義、経済的合理主義そして国家主権概念といった考え方が理論的に強固に構築され、国家の下に法制化され、国際政治の場でも尊重されるようになっていきました。当然ながら補筆しておかなくてはなりませんが、こうした文明国の要件を揃えられない国は文明国以下とみなされ、植民地化や属国化の対象にされてしまった世界史の悲劇も忘れてはなりません。日本も明治維新の時に、必死に「文明国」となることを目指したのも、こうした世界情勢があるからなのでした。まとめると、近代になるとテクノロジーの発達により、人々の移動は活発になり移動や移住が猛烈に推し進められました。そして、思想の側もそれをバックアップするような考え方が次々に現れ、体系化されていき、その思想に基づいて社会の様々な制度や生活スタイルが規定されていきました。3C論で提起した「文明は思想でできている」という考え方も、こうした思想の体系化がもとになっています。そして、この時代にまでくると、「文明の枠」は体系化された思想のうち、どのようなものを信じるのかというように概念的にとらえられるようになるのでした。本章のメインテーマと外れるため、ここでは表面的にしか触れませんが、近代は最終的に2回の世界大戦と冷戦を迎える形で終焉を迎えます。この世界大戦と冷戦構造の原因はさまざまに考えられていますが、政治学や歴史学の主流的な考え方は、近代を推し進めた様々な主義思想が行きつくところまで至った結果ととらえます。だからこそ、大戦後の世界では近代を推し進めた諸思想つまりは自由主義や民主主義、経済的合理主義そして国家主権概念などに対して修正や変更を加える向きに力が働いたのです。こうして、近代(modern)後の世界ということで脱近代主義(post-modern)の考え方が唱えられ始めたのです。

文明の枠を超え始めた思想

さて、脱近代主義の延長線上に、現代の私たちの社会は成り立っています。社会の基本的な構成は近代に作られているものの、その思想と思想の産物は様々に修正や変更されて今に至ります。そうした現代にいたって、もうひとつ特記しておかなくてはいけない現象が生じています。それは、近代で文明を形作ってきた思想が、今度は文明の枠を超え始めていることです。前段で見たように、近代では思想とそれを信じる人が文明の枠を構成しました。ところが、その枠を作る原料であったはずの思想が逆にその枠を超え始めたのです。この文明の枠を超え始めた思想こそが、4C論を展開する根拠になります。どういうことか、さらに詳しく見ていきましょう。

まず、現代はますます思想の絶対性が失われている時代になっていることがあります。逆に言えば、思想の相対性がますます強まっているということができます。世界大戦や冷戦などにより、思想の原理性に疲れ切った社会では、思想を突き詰めた社会よりも様々な思想を組み合わせて社会のバランスをとるような思想のキメラ型の社会を構成するようになっています。キメラとはギリシャ神話に登場する怪物のことで、ライオンの頭とヤギの胴体、蛇の尻尾を組み合わせたからだをしています。このキメラのように、様々な思想を組み合わせてバランスをとるような社会構成が現代には多く見られるということです。社会主義国家を作るのではなく、社会主義を取り入れた福祉型の社会を資本主義の世界で実現することを目指したり、あるいは逆に共産主義の国家で段階的に資本主義の仕組みを取り入れていくことなどが典型例になります。こうした思想のキメラ型社会では結果として、思想の絶対性は崩れていき、もしかしたら他にももっと良い思想があるかも、という人々の関心の分散が起きるのです。こうした関心の分散は、文明の枠の外への興味につながります。そして、文明の枠の内にあったはずの思想が、文明の枠を超えていくという現象が加速度的に発生しているのです。

また、この文明の枠を超える思想という現象は、3C論で見たテクノロジーにも大きく影響されています。デジタル化された情報は、今の時代世界中を駆け回っています。テレビやインターネットなどにより、私たちは世界中で発生している出来事や人々の発する声や文字やイメージをリアルタイムに摂取できるようになりました。こうしたことにより、文明の枠を思想がいとも簡単に飛び越えるようになったのです。

市民が文明を選択する時代へ

理論的必然として、現代及び未来の社会において、市民が文明を選択する時代が到来します。これが4C、つまりThe Citizen Can Choice his/her Civilization「市民は自らの文明を選択できる」の考え方です。そして、それを政府や権力者が押さえつけておけなくなった時、文明選択権は権利として効力を発揮するようになるでしょう。人々は、どの思想を選択し、自分の価値観を設定し、どのような生活スタイルを送るかを決定する時代が訪れようとしているのです。これが4C論の考え方になります。

さて、では4C論が認められるとき、今度は何を社会にもたらすかを考えていきたいと思います。2C論、3C論からの続きになりますが、現代において文明を形作っている思想は人々に思想に基づいた行為や行動を促したり教育し、もしくは指示、強制してきました。今一度、「文明とは、価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」という定義を思い出してください。そして、4C論に基づくと、現代社会においては、市民は自らの文明を選択するようになると考えられます。この結果、「価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」は、今度は逆に市民の自らの選択にゆだねられることになるのです。現代以前の時代、市民はその文明を選択することはほぼ不可能でした。つまり、例外的な生き方を除く世界中の大半の市民は出生した瞬間に自らの文明を宿命づけられていたのです。しかし、現代において、そうした状況に少しずつ逆転が生じるようになったのです。このことはどんなに強調しても強調し過ぎることはない4C論に基づく現代社会の大逆転現象だと言えます。

そして、2C論、3C論、4C論を組み合わせて考察すると、理論的結論として超価値を持つデジタル化された文明を、市民が選択する時代がやってくるのです。

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