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第4章 2C論:逆襲の文明理論

多元的な文明観

人類の歴史が始まって以来、いくつもの文明が地球上の様々な場所で生まれてきました。この文明の発生については、論者によってさまざまな見解があり、人類の歴史を単一的な文明の進化の歴史ととらえるような説もあれば、二極もしくはそれ以上の極を設定して政治的覇権(ヘゲモニー)的な観点から文明を論じる者もいます。しかし、一般的には文明というのは「多元」的なものと考えられており、本書でもこうした多元的な文明観によって以下の文章は論じていきたいと思います。多元的とは、同時代的に複数の文明が独立もしくは互いに影響しつつ存在しているという状況を指します。わざわざ「多元的な文明観」を前提とするのは、もし「文明が多元的ではない」という視点を取り入れてしまうと、以下の文章がそもそも成り立たなくなってしまうためです。

上記の「多元的な文明観」によれば、新たな文明の発生を論じる場合には、旧(ふる)い文明が前提にあって議論をしていることになります。ですからここでは、新文明と旧文明という2つのモデルを用いて、議論をしていきたいと思います。

さて、本書の第1章で「文明とは、価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」と定義したことを思い出してください。多元的な文明観に立つ場合、当然ながら複数の価値の定義が存在することになります。そして、その価値の共有体制も複数存在し、結論として人々の生活システムも複数存在することになります。

新しい文明はいかにして広まるのか

ここで前段の新文明と旧文明という2つのモデルを導入してみましょう。

いま、ある特定の地域において、相当な長期間続いた文明A(旧文明)があるとします。そして、その地域において、黎明期にある文明B(新文明)が生まれ起きつつあると仮定しましょう。この場合、当該地域において生活する人々の価値はどのように変遷していくでしょうか。

まずは、新文明Bの黎明期・萌芽期です。

下の図は、特定の地域や範囲における文明の普及度合いを表すものであり、図に占める面積がその文明の影響下にある人々の数を意味します。以下ではこれを文明の「影響度」と呼ぶことにしたいと思います。

当然ながら、黎明期・萌芽期の新文明Bの影響度は旧文明Aに比べると圧倒的に小さいものになります。文明の始まりが一体どこから来るのかというのは、多くの議論が必要なことでしょう。しかし、たとえどんなに小さくとも文明の黎明期という時期があり、そこに集まる人々がいたことは否定しようのないことだと思います。なぜならば、歴史上最初から大文明であった人間の集団というのは想定できないからです。

さて、旧文明Aが圧倒的な影響度を持つ中で、新しく発生した新文明Bの人々は極めて限定的な影響度合いしかもっていないことが想起されます。よって、この新文明Bの影響下にある人々が、その影響範囲を拡大できないのだとしたら、その人々が死に絶えることによって、新文明Bの灯も消え途絶える運命にあります。逆に言えば、新文明Bがその影響度を拡大させるとしたら、いったいその社会では何が起きているのでしょうか?

本章のメインテーマはこの文明の影響度を拡大させる要因の正体に迫ることにあります。

では、話を少し進めるために、第二の新文明Bの勃興期を見ていきましょう。

先ほどの黎明期よりも、新文明Bが影響度を拡大させました。

ここで、注意頂きたいのは、一定の地域の範囲において、人口の増減をひとまず考えない前提で、ある社会を仮定したとき、新文明Bの影響度の拡大は、旧文明Aの影響度の衰退に他ならないということです。言い換えれば、新文明Bの影響下にある人の割合が増えるほど、旧文明Aの影響下にある人々の割合は減っていくということになります。

ここで少し話は変わるのですが、原因と結果の間に社会一般的に妥当と考えられる必然性や法則のようなものが観察される場合、そこには「因果関係があった」と表現されます。また、最近の社会科学では、因果関係にある原因と結果が観察される場合に、その結果が次の原因を作り出す、つまり原因と結果がサイクルとなって連綿とした事象を起こすフィードバック理論もひろく認識されるようになりました。例えば、不況によって社会不安が発生した場合に、その社会不安がさらなる不況を作り出すというような循環です。

これを、上記の新文明の勃興にあてはめて考えてみます。

まず、勃興期における新文明Bの影響度の拡大(原因)が、旧文明Aの影響度の衰退(結果)をもたらす間に、一般的に認められるような必然性や法則性が働いているとみなされる場合(因果関係)、旧文明Aの衰退は、さらなる新文明Bの拡大をもたらす(フィードバック)ことが予想されます。

もちろん、この議論が成り立つためには、新文明Bが影響度を拡大させる主要因が、旧文明Aの影響度よりも勢いで優っていることの根拠づけが必要です。もしそうでない場合、新文明Bの拡大とは関係ないところで、旧文明Aが自然的に衰退している可能性も否定できなくなります。あくまで、新文明Bの拡大と旧文明Aの衰退がセットで必然的・法則的であった場合にこそ、上記の関係性は成り立つのです。

さらに、新文明Bがその確立期・安定期に入った時を考えてみましょう。

旧文明Aの影響度はさらに低下し、新文明Bの影響度は相対的にさらに増大しました。

ここまでくると、世界中の人々は広く新文明Bを旧文明Aと同じく同列の「文明」として扱わざるを得なくなるでしょう。例えば、ローマ帝国時代のキリスト教の浸透、西洋諸国が中世だった時代のイスラム教の拡大などが典型的にこのような場合であったということができると思います。

最後に今まで見てきた図に時間軸を加えて考えてみましょう。時間軸は左から右に行くほど新しい時代になります。

上図は、新文明Bが仮に時間の流れに比例して定数的に影響度を増やしていった場合です。破線の部分で、旧文明と新文明の逆転現象が観察できます。あくまでモデルですので、実際にこのように文明が成長する事例は稀かもしれません。歴史上、文明の黎明期や勃興期と思しき時代には、ときの権力などによる様々な弾圧や分離政策が観察されます。ですので、影響度の増大はそんなに簡単なことではなく、歴史上はそれなりの時間を必要とすることでしょう。

2C論(逆襲の文明理論)

さて、今までの理論モデルはある一つの決定的に重要な事柄を除いて話を進めておりました。

それは、新文明の影響度拡大の主要因は何かということです。いったい、新文明がその影響度を増しているとき、その中ではどのような事象が発生し、その新文明化する段階の中で人々にどのような変化が生じているのでしょうか。この主要因が判然としないうちは、ただ単に社会的な現象を観察しているだけです。また、主要因に対して、社会一般的に妥当だと思われる必然性や法則性がなければ、新文明の影響度拡大と旧文明の影響度衰退の間に因果関係も認められないことでしょう。

ここで、筆者は2C論という理論モデルを提唱したいと考えています。

2Cとは“Counter Civilization”の2つの頭文字のCをとったものです。

よく間違えられそうなので先に言っておきますが、社会一般で使用されるカウンターカルチャー“counter culture”とは全く異なる言葉・概念だと注意頂ければと思います。

まず、本書で定義した文明は何かということについて、

「文明とは、価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」

という定義を思い起こしてください。

そして2C論はこの定義の「価値の共有体制」という言葉に関係する概念になります。

超価値の設定

ずっと昔から続いてきた特有の価値の共有体制を持つ文明圏において、その文明のもとにいる人々の価値観の形成にはその文明圏でとられている教育制度や社会人形成のプロセスが大いに関係しています。産まれてから死ぬまで、人間は周りの人間との生活や仕事を通して、価値観を形成していきます。もちろん、文字やイメージ・映像など抽象的な情報の収集は、個人がそれぞれ独自に行っていることでしょう。しかし、文明という規模間で人間の活動を見たときに、人々の情報の収集ですら、その文明圏の影響は強大な引力のように人々の意識を拘束しているものです。キリスト教文明圏の人々は自然にコーランを手にする機会もなければ、イスラム教文明圏の人々が自然とキリスト教の教会に赴くことが稀なのも同様です。実は情報の取捨選択にすら、その文明特有の価値観が人々を支配しているのです。

では、旧文明の支配する中で、新文明はどのように生まれ得るのでしょうか。ここで、「超価値」という概念を仮定し、それを議論に導入していきたいと思います。

「超価値」とは、既存の価値観が支配する中で、それまでの文明では評価され得るはずのなかった全く次元の違うものやことに対して価値を見出すことを指します。なにか新しい概念のようですが、超価値は歴史学における時代の転換期に必ず観察される現象だと筆者は考えています。たとえば、貴族的血族主義がまかり通る時代の中で神の下でのすべての人間の平等を説く考え方は、一例としてこの超価値の存在を証明します。それまで、王や貴族の言うことは血族主義から絶対と思われていたところに、「神の下ではすべての人間は平等」という概念を導入することによって、既存の血族主義の絶対性は揺らいていきました。

ここで、歴史学的に興味深い現象は、そうした血族主義に対抗する平等主義が誕生したとしても、王侯貴族の類を絶滅させようという社会的作用が発達するとは必ずしも限らないことです。もちろん、フランス革命や共産主義革命のように極端な事例も存在しますが、多くの歴史的事例は特権階級の方から平等主義への擦り寄りが見られ、中には平等主義の守護者として王侯貴族を自ら再定義する現象も数多く観察されます。このように考えていくと、超価値の発生は既存の文明の「価値観」の上に、新しい次元の「価値観」を築き上げているとみることもできます。原理的に考えれば全く矛盾する概念も、多くの社会では二律背反を起こしながら共存しているのが現実なのです。

さて、この超価値という言葉については、もう一つ補足的に説明をしておくべきことがあります。それは、この超価値という言葉は、既存の価値に対するアンチテーゼであったり、既存の価値を「価値がない」とみる向きには与しないということです。もっと端的に言うのであれば、超価値と反価値(無価値)は違う概念であるということです。先ほどの文章の中でも、Counter Civilizationはカウンターカルチャーとは異なる概念であると述べましたが、カウンターカルチャーは既存の文明に主流とされる価値観・考え方に対する抵抗的な考え方を表現したものと一般的には解釈されています。このカウンターカルチャーの文脈で価値を語られるときに現れるのが「反価値(無価値)」という言葉です。一番卑近な例を挙げれば、お金に対するカウンターカルチャーを考えてみましょう。これは資本主義への抵抗・反抗という背景で一番良く観察される事例ですが、貨幣経済の在り方を否定し、自給自足による生活を目指す人々が資本主義の中で声を上げることが少なからず観察されます。こうした活動は既存文明における主流の価値観の明確な否定であり、その価値を無とする考え方につながっていきます。これを反価値と言ったり、哲学の世界では無価値と言ったりしますが、これは先ほどの超価値と明確に異なることがあります。それは、超価値が、新しい価値観の創出を含むのに対して、反価値(無価値)は既存の価値の否定であり、そこに新しい価値観の創出が動機づけられていないことです。このことは、カウンターカルチャーとして登場してきた様々な事象が結局は文明になることができない限界とも大きく関係します。「文明とは、価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」という文明の定義において、「価値の共有体制」というのは文明の成り立ちに決定的に大きな要因になります。しかし、反価値(無価値)は既存の価値感を否定することに全力を注いでしまうため、既存の価値感の支配下にある人々の絶対多数から支持を得られないという宿命にあるのです。それがゆえに、一過性のムーブメントに終わることが多く、価値観の共有体制がとられないということができるかと思います。

話がそれたので超価値という概念をまとめると、既存の文明圏で主流となっている価値観とは全く異なる次元の価値観を創出することが超価値であり、この超価値が強力な引力を発揮することによって、新文明の影響度が拡大するというのが筆者の主張になっていきます。

新文明は旧文明に寄生して誕生する

では、この超価値という考え方を新文明がまさに自らの影響度を拡大させるための原動力の源としていると仮定した場合に、これは逆の見方をしてみると新文明の影響度拡大を狙う人々は旧文明の価値観をベースにして、新しい価値観を広めようとしていることが見て取れます。例えば、先ほど例に出した「神の下ではすべての人間は平等」という歴史的事象を思い返してみてください。この超価値を設定し、活動した人々はそもそも血族主義と貴族主義による専制政治体制がとられていない完全なる平等社会で、その影響度を拡大しえたでしょうか?答えは当然NOでしょう。まさに血族主義に基づく貴族たちの存在があってこそ、「神の下ではすべての人間は平等」という価値観は強い力を持つのです。繰り返しになりますが、超価値という存在は既存の旧文明の中から誕生します。したがって、その存在の前提として、旧文明で主流となる価値観や考え方が議論の出発となります。そして、旧文明の人々にとって、既存の価値感では図ることのできない全く新しい次元から、価値観を構成し、旧文明の人々にそれを投げかけるのです。そうすると、旧文明の人々は何らかの選択を迫られるようになります。当然ながら、そうした超価値の存在を意識的か無意識的かにせよ、無視し、距離を置くというのも一つのアクションです。しかし、既存の価値感の枠内にいつつ、そうした新しい価値観への興味を覚えたり、何らかの協力的働きかけを行うこともまた可能です。こうして、超価値が引力を持ち始めるとき、旧文明の中で新文明に移行するような人々の流れが発生し、新文明の価値を共有する体制が回り始めるのです。

このように見てくると、言い方は多少悪いかもしれませんが、新文明は旧文明に寄生して誕生すると言えるのではないでしょうか。超価値の胎動は旧文明の既存の価値感の共有体制から発生することを考えても、旧文明に寄生する新文明という見方は歴史学的に実証的に考察できることと思います。

さて、本章で提唱する2C論は上記のような理論構成の元、逆襲の文明として新文明の成立をさせるための理論です。

2C論のモデルでは、旧文明の主流となっている価値観をベースにしつつも、それとはまったく別の次元の新しい価値観である「超価値」を設定することにより、旧文明に寄生する新たな文明的価値観の共有体制、つまりは新文明の在り方を見出すことができます。それは、あたかもボクシングにおけるカウンターパンチのように、相手の力を利用して自らの勢いを拡大させるかのごとく見えるため、counter(逆襲)的であると名付けました。

今度は2C論をもとにした新文明のつくり方を考えてみましょう。

まず、2C論が成り立つためには、旧文明で主流とされている価値観をベースにしつつも、その旧文明では重要とみなされていない新たな次元の異なる価値観「超価値」を作り出すことが必要です。そして、その超価値を旧文明の影響下にある人々に投げかけていきます。この際、既存の価値感を否定する(=「反価値」)のではなく、既存の価値感を認識しつつその影響を逆に利用する形(=寄生)で影響力を伸ばしていくのが効率的です。旧文明の影響度が強いほど、逆襲の力は強いものになり、超価値の発揮する力は人々に影響を持つようになります。このようにして、段階的に影響度を増やしていき、人々の価値観を共有する生活システムとして盤石なものとなった時、新文明は確立されるのです。

以上のことをまとめると、2C論によって新しい文明をさせるためには、既存の価値感をベースにしつつそれとはまったく別次元で超価値を作り出し、旧文明に寄生する形で人々に新しい超価値を投げかけ旧文明に対する逆襲の力を利用して影響度を増やしていき、それを生活システムにまで影響させるような取り組みが有効と結論づけることができます。

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