第1章では、文明を「価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」と定義しました。では、この定義を日本文明にあてはめられるものとは何でしょうか。

このことに答えを出すことは容易ではありません。幾千の言説が並び立つことを覚悟したうえで、あえて筆者が考える日本文明の「価値の共有体制として人々の生活システムを包み込むもの」としての独自性がどこにあるのかを提起してみたいと思います。

日本は中華文明と西洋文明からの影響を色濃く受けた歴史的経緯を持っています。しかし、日本は中華文明とも言えず、西洋文明とも言えない、ある種の独自性を保持し続けたと私も考えています。では一体その独自性の根源はどこにあるのか、いったい他の文明と何が違うのか、そしてその独自性の根源が何に寄って立つのか、それを明らかにしなくてはなりません。

まず、第1章で定めた文明の定義に基づいて、日本文明の内部にある人々は価値の共有体制が何であるのか、そしてそれがどのように日本人の生活システムを規定しているのかを見ていく必要があります。順番に見ていきましょう。

日本文明は、自己が所属するコミュニティーを良くすることに価値を置く

何がほかの文明と圧倒的に違うのか、文字でも社会統治システムでもないものとして、あえて提起したい日本文明の価値観、それは「自己が所属するコミュニティーを良くする」ことです。それこそが他の文明よりも日本文明が圧倒的に価値を置くことであり、人々がその価値観に基づいてそれを達成するために行動することでもあります。これが日本文明を独自で特殊なものとする事情につながっています。

ここで、「コミュニティーベイスド(community based)」という用語をこれからは使いたいと思います。日本文明でいう「コミュニティー」とは何かというのは後ほどじっくり検討していきます。ひとまず、日本人は何らかのコミュニティーに属し、しかもそれに生活の大部分を依拠している(あるいは「依存している」とも言うことができます)という状態をコミュニティーベイスドと呼ぶことにします。

さて、日本文明について仔細に検討する前に、予想される反論についてまず検証しておきたいと思います。それは、日本文明だけではなく、他の文明においても「自己が所属するコミュニティーを良くする」ことなど当たり前に行われているという反論です。当然のことですが、そうした価値観は世界中のどこの地域でも観察できることでしょう。しかし、それが圧倒的多くの人々の深層心理にまで潜り込み、人々の生活と行動様式にまで他の文明に比較しても明らかに強く影響しているという点で、日本文明は他の文明に比べて特殊であると私は考えています。

日本が歴史的な意味で最も長期間影響を受けた中国・中華文明を考えてみましょう。この中国の歴史を共有する人々はあまりにもたくさんの国と支配者を経験し過ぎてしまいました。ある時は民衆の反乱がおきて新しい国が作られ、またある時は国境を破って侵略者たちが新しい国を打ち立てました。そうした中国の覇権競争の連続を経て、中国には生き残り(サバイバル)スキルが行動の様式にまで深く影響しているのです。西洋文明とは違う意味での個人主義・家族主義が成立し、それこそが中華文明の根幹をなしています。ですので、中華文明にある人々はコミュニティーよりも上位の価値の存在を容易に設定しうるのです。それが一族であったり、イデオロギーであったりするわけですが、権力志向であることに変わりはありません。より強いものへ、より生き残りできそうなほうへ、それが生活においても価値を持つのです。一方で、コミュニティーベイスドで行動すると、 国や支配者がひっくり返った時に皆殺しの憂き目に合い、何もかもが無に帰する危険性が高くあります。 そのため、そのことを回避するため、常に覇権に紐づいて行動をとるように、ある時は競争し、ある時は協力しあうようになっていったのです。この歴史的な点が日本文明と大きく異なる点です。もちろん日本でも国の体制や支配者が変わることはありました。しかし、基本的に日本のコミュニティーはすべてゼロになってしまうような破滅的ダメージを負うことが中国の歴史に比べればはるかに軽微だったのです。コミュニティーを一気に破壊するような外部的要因が働かなかったことは日本の歴史に多いに幸いしたことです。文字や紙、法や儒教などの道徳観念など、中華文明の中で発明され、世界の歴史を塗り替えたものは数限りなく存在します。一方で日本はその発明品を常に受け入れる側でした。しかし、文字も紙もラーメンも法も仏教も金属技術も儒教も火薬も日本はどんどん取り入れていきましたが、なぜか中華文明にはならなかった。それはコミュニティーベイスドの価値観が常に強く作用し続けたからだと推定すると、同じように中国と隣接する朝鮮半島との違いが鮮明となります。当然ながら、そうした日本のコミュニティーベイスドの価値観の保全には地理的な要因が強く働いたということも大きくあるでしょう。四方を海に守られ、大軍で攻めてくることが難しかったため日本のコミュニティーは温存され続けられたのです。

では、キリスト教(特にカソリック)やイスラム教が主たる宗教を占める地域とはどうでしょうか。これはあまりにも明白なほどに、価値の優先順位が違います。コミュニティーより上位の価値に神が設定されており、すべての行為や行動において神の存在が絶対的に支配しています。より正確に言えば、神の位置づけは絶対的なものであり、コミュニティーは価値として比較の対象にすらなりえません。一神教を共有する文明の中で、神は絶対的な位置付けなのであり、コミュニティーも家族も国家も支配者もその次点以降の存在になるのです。最近の国際ニュースでは、イスラム原理主義による自爆テロなどがよく問題になっていますが、こうした行動様式も日本ではなかなか理解できないものですが、逆に日本では神風特攻隊のような気風は理解できます。コミュニティーを守るためであれば自己犠牲も厭わない日本人の気質に対し、イスラム過激派の自爆テロなどは神への忠誠を誓うためにすべての犠牲を厭わない者たちが起こす行為で、手段は同じでも本質的に目的が異なっているのです。また一方で、日本人でも宗教を持ち、信仰深い人たちもたくさんいるのではないかと指摘もあるでしょう。しかし、例えば同じグループ同じコミュニティーを念頭に置いたとき、日本人の多くは違う宗教の人がいたとしてもそこまで気にすることはないでしょう。仮に宗教戦争のようなことをしてしまうとコミュニティーが維持できなくなることを圧倒的多数が理解しているからです。そう考えると、信仰心と少なくとも同レベルでコミュニティー維持という価値を共有しているとみなすことができるでしょう。ここが、コミュニティーを自壊させようとも神への忠誠を誓い行動に移せる人々と異なるのです。

最後に、日本が明治時代以降近代化とともに輸入した西洋的な価値観はどうでしょうか。また、第二次世界大戦後主にアメリカから取り入れたアメリカ型自由主義の価値観もどうでしょうか。ビジネス的な考え方や制度的な仕組みなど、近代化の過程で日本が取り入れたことは中華文明と同じように数限りなくありました。しかし、日本人そのものが完全に西洋化したかというと決してそういうこともなかった。この点が、他の主に被植民地とされた地域と異なり、海外の識者も日本の独自性を認めなければならなかったところです。スーツを着込んで、資本主義に染まり会社を作り、一見行動の様式が西洋化したと思われる日本ですが、根っこの部分で異なっているため、西洋の人々から見ると不思議でしかない行動をとるのです。特にそれが顕著に出るのが、コミュニティーベイスドの考え方と自由主義的な考え方が競合するような場合です。日本では自由という考え方・価値観が広く浸透しているにも関わらず、自己の問題とコミュニティーとの問題が重なる部分においてはほとんどの場合コミュニティーを良くする方向性に選択を行い、自己の問題を切り捨てることになります。たとえば、会社から帰る自由は確保されているにも関わらず、自分以外の人が会社から帰っていない場合、日本人はその場からなかなか帰らないことなどがよく話題に挙げられます。「自由」が完全に個人に属すると考える地域では、自由なんですから当然自分で決められるのですが、日本文明の中に属する日本の人々にとって、「自由」と考えられていることもコミュニティーと重なる領域に関しては「半分自由」の状態であり、自分の自由の部分をちょっと遠慮してしまうのです。

こうしたメンタリティー(精神性)の在り方自体が、コミュニティーベイスドの価値観に支えられているとみなすことができるでしょう。もちろん、日本文明に所属する人々も西洋諸国を見習って、自由主義的・個人主義的・利己主義的に行動しようとしている傾向はあります。しかし、その「傾向」程度の問題と、本当に自由主義的・個人主義的・利己主義的な人とでは天と地ほどの差があるのです。コミュニティーよりも上位に自分の選択の自由を持ってこられる人々がどれほど多くいるか、その割合は西洋に比べれば日本では圧倒的に少ないことでしょう。

さて、日本文明を「自己が所属するコミュニティーを良くすることに価値を置く」と定義しましたところに話を戻したいと思います。

日本文明を支えるコミュニティーの種類

今度は、その日本文明の中で問題となるコミュニティーの話です。日本文明に属する人々は、自己が所属するコミュニティーをどのように決めているのでしょうか?さらにそうしたコミュニティーはなぜ出来上がっているのでしょうか?この点についても考察が必要です。

文明は「価値の共有体制として、人々の生活を包み込むもの」と定義されるので、日本文明とは「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」と代入することができます。そう考えていくと、地域でも、学校でも、会社や団体でも、日本の人々のさまざまな行動様式が理解できる部分が多く存在するはずです。

1)ムラコミュニティー

まず最初に、ムラ的なコミュニティーを考えてみましょう。日本の圧倒的多くの地域では地縁的・血縁的なムラ関係が太古の昔から今の時代までつながっています。人の入れ替わりは断続的にあるにしても、諸外国における遊牧民や移民の開拓精神とは別の「おらが村」的な精神をたくさんの日本人が有していることは否定しようがないでしょう。そして、生まれた場所、育った場所がそのままコミュニティーを形成していきます。

諸外国のどの地域でもこのムラ的なコミュニティーは当然ながら存在しました。ですので、そういったムラ的なコミュニティーの在り方自体が日本独自ということは決してありませんので、注意してください。

一方で、日本のムラ的コミュニティーについて海外に比較して特徴と言いえることはその多様性です。これは日本の地理的環境に大きく由来するものです。日本は四方を海に囲まれ、暖流と寒流とが複雑に入り混じる海流の境界線上に島々が位置しています。そのため、季節ごとの気候変動が激しく、四季の変化は同じ日本の中においても千差万別の気候風土を持っているのです。さらに国土の大半を山が占めその山を伝って急流を持つ川が流れています。そうした山脈と河川に分断される形で大小さまざまなムラが発生していきました。例えば、広大な砂漠地帯や草原地帯のように、均一的な環境が続いていたら、同じような風土風習が広まる蓋然性が高くなります。しかし、日本は国土を気候と山脈と河川といった地理的要因によって細かく分断され、気候も風土も場所ごとに細かく違う環境が出来上がってしまいました。そのため、いろいろなムラがそれぞれ独自に進化してしまったのです。また、あまりにも小さな離島であればガラパゴス諸島のようにその島ごとに独自の進化を遂げただけで終わったのでしょうが、日本の国土は程よく大きかった。このため、ムラで過剰となった人口が別の地域へスライドしていく現象が発生します。

さらに、日本と中国大陸は気軽には行けないけれども、頑張れば行くことができるという距離間にありました。このため、国という概念を早くから日本の人々は知ることとなってしまいました。高度な統治システムを持つ中国のありようを見て、ある人々が自分たちの国も同じようにやっていこうと考えたわけです。ここに文明の始まる契機がありました。日本はまだまだムラ的コミュニティーだった時代から、中華文明という巨大な文明の姿を見てしまい、ムラでありつつ文明というある種の無理を重ねていくことになるのです。

余談になりますが、この日本の真似好きというのも日本文明固有のものといえるのかもしれません。中華文明に限らず、仏教であったり、西洋文明の取り込みであったり、日本は驚異的なスピード感で、他の文明のアイデアを模倣する文明スキルとでもいうものを身に着けています。この文明スキルは、他の文明を模倣することに障害が少ないという事実の裏返しでもあります。例えば、宗教や信仰、あるいは社会風習や慣行といったものが邪魔をして文化の摂取がうまくいかないということは、国際的にはしばしば観察されるものです。しかし、日本はなぜかそれが非常に少ない。もちろん、係争化することもあるのですが、文化受容のスピード感が他の文明に比べてずば抜けていることは、面白い特徴だと思います。本書のテーマとは外れますが、興味深いテーマでいつか深堀りしたいものです。

脱線してしまったのでまとめますが、日本のムラコミュニティーは非常に多様性に富んだバリエーションを持ったまま、島国という地理的特性上ムラコミュニティーを排除消滅させるような事件も少なかったため(まったく起こらなかったわけではありませんが)、現代にいたるまでムラ的コミュニティーはその原始的な要素を持ちつつも、現代版に姿を変える形で日本のいたるところに残っています。

そして、もう一つ決定的に重要な役割を果たしたものがあります。それが神社という存在です。よく知られているように、日本の古代宗教はアニミズムから派生して、八百万の神様を信仰の対象とする多神教の宗教を作り上げました。基本的に中国から輸入された仏教もこの多神教と融合する形で日本では取り入れられました。そしてこの神社と八百万の神様という存在こそ、日本の幾千万のムラコミュニティーに属するひとびとに、コミュニティーベースドの考えを植え付けたシステムとなったと私は考えています。

ここでは、頁数の関係上日本神道の詳細な分析は控えますが、簡単に言うと日本の古代神道は山や川、樹や動物にいたるまで、ありとあらゆるものに神の存在を見出していました。そして、そうした神体を祭る形で、日本のムラコミュニティーには神社が建てられていきました。さらに、神社では毎年人が集まって、神に捧げる祭礼が開かれるようになります。日本人の(ハレ)と(ケ)の精神構造は有名な言説ですが、日本のムラコミュニティーでは祭りの時に人々が集い、交わり合ったのです。

ここで読者諸氏は、私が日本文明を「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」と定義したことを思い出してください。そして、日本の津々浦々で行われていた「祭り」の際、人々がどのような心持ちでいたか、ぜひそれを想像してみていただきたいのです。

まず、祭礼を取り仕切る人々は今までの祭礼がどのように行われていたかを思い出す作業から始まります。ムラの長老、大人衆、若衆といった人々が集まって、去年はどうだっただとか、昔こんなことがあってだとか、ああだこうだと言い合います。そして、祭礼の手順の段取りを決めていく。こうした段取りに沿って、村人たちが準備を着実に行い、いざ祭礼が無事に行われた暁にはそれを祝ってお疲れ様会が行われ、次回の祭りの担当者に反省点や課題事項を引き継いでいくのでした。

ざっくりと祭りのプロセスを見てきましたが、このプロセスをじっと見ているとあることに気づくでしょうか。

現代社会の一場面では、工場の品質向上、会社のサービス向上という話の中で、「PDCAサイクル」を回そうという標語が使われたりします。このPDCAとは、Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Action(改善)という用語の頭文字をとっています。そして、このサイクルを回すことで、問題を発見し改善をつなげていき、ひいては会社の経営をより良くしていこうと目指すわけですね。

このPDCAサイクル、現代経営学では当たり前となっている初歩的な概念なのですが、よくよく考えてみると、日本のお祭りのサイクルがこのPDCAサイクルとよく似ているのです。もう一度振り返って考えてみましょう。

1)長老や若者衆が集まって今までの振り返りを行い、計画を立てます(Plan)

2)祭礼の準備を行い、実際の祭礼を滞りなく完了させます(Do)

3)皆で祭礼後に集まって祝杯をあげますが、その際に今年の反省点や課題点を挙げあいます(Check)

4)次回の祭りの後任者たちにそれを引き継ぎます(Action)

どうでしょうか。見事にPDCAのサイクルが回っているのです。古代から延々と、八百万の神様を信仰してきた日本のムラコミュニティーの人々は、それぞれのコミュニティーごとに神様を設定し、祭礼を行ってきました。そのため、そのムラごとに祭礼についての準備や活動に改善が加えられ、世代を重ねるごとにバージョンアップを繰り返していったのです。このプロセスを日本人は毎年毎年ずっと繰り返してきたもので、祭りのみならず自己が所属するコミュニティーを良くすることが自然と価値あることになっていってしまったと推察しています。

はるかな古代から現在に至るまで、神社は日本のムラコミュニティーの集まるコミュニティーセンターとして機能していました。例えば、江戸時代に農民一揆をするときには農民たちはまず神社に集まって神に誓いを立ててから、一揆を始めていました。あるいは、結納や婚礼も神社を通して、人々の交わりの契りを結びました。こうして神社はムラコミュニティーの中心であり続けたのです。つまりは神社があるからこそ、日本人は毎年そこに集まりコミュニティーを良くすることを志向していくようになっていってしまったのです。

このことが、いろいろな歴史的経緯を経て日本人のメンタリティーを結集させ、日本文明の特徴たる「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」を構成していったと私は考えています。

では諸外国、特に一神教的宗教の影響が強い地域ではどうかを比較して考えてみましょう。カトリックやイスラム諸国家の多くは、まず宗教的戒律が生活の部分の隅々にまでいきわたっています。当然ながら、祭礼や行事も宗教的戒律と階級によって細かく規定されていることが多く、それらを変化させることは容易ではありません。逆に言えば、人々はこうした従前のルールに則ってさえいれば、安心してイベントをこなすことができます。キリスト世界の中世が停滞の時代と言われることの裏返しとして、この時代のキリスト世界がキリスト教的な戒律に現代人が想像できないほどに強く縛られていたことを想起してもらえれば、日本との違いが少し理解できると思います。同じようなことがユダヤ教やイスラム教でも言えることから、こうした一神教的な観念の強い地域では同じような社会性を観察することができます。

さて、今までは日本のムラというコミュニティーをもとにして、日本文明の正体を検討してきました。さらに、日本も歴史の様々な段階で、ムラコミュニティーの域を出るコミュニティーを形成してきました。実は、他にもたくさんのコミュニティーが考えられるのですが、本書では次章以降のために理解する必要のある大切な存在として次の4つのコミュニティーを列挙しておきます。

ムラコミュニティーの域を超えるコミュニティー

  • マチ(町)コミュニティー
  • クニ(国)コミュニティー
  • 組織型コミュニティー
  • 会社型コミュニティー

日本文明との関連でこうしたコミュニティーがどのように位置づけられるのか、一つ一つ見ていきましょう。

2)マチコミュニティー

これはほとんどの人が感覚的にもつかみやすいものだと思います。ムラ(村)という存在から人口が増えるようになるとマチを形成するようになることは、日本のみならず諸外国でも同じように観察されることです。ムラと異なり、マチのレベルまで人口が増えると、コミュニティーの内部でも変化が生じるようになります。その最大のポイントとして理解する必要があることは、コミュニティーの参加・協力の度合いが、コミュニティーの内部を構成する人々で層分けされることです。

ムラは基本的に主たる構成員のすべてが参加・協力することが求められます。一方で、マチの場合にはコミュニティーの維持・運営の直接的に参加・協力する人と、間接的に参加・協力する人に分けられていきます。人数が増えてくるとどうしても全員参加ですべてのコンセンサスをとっていくことが難しいからです。また、マチはムラと違い常に人口の流入・流出があるようになってきます。このため、特にコミュニティーの新参者の参加・協力が阻害される事態が出てくるのです。

日本文明を「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」と位置付けたときに、こうしたコミュニティー参加の度合いに濃淡が出てくると、日本人は自己が直接的に参加・協力できるコミュニティーへの参加の度合いを強める傾向にあります。つまり、日本人の中でもムラ的なコミュニティーへの参加・協力を選ぶものと、マチ的なコミュニティーへの参加を選ぶものとに分けられてくるのです。

これはある種の係争(コンフリクト)をもたらします。というのも、ムラとマチとが重なるような領域が必ず出てくるため、そのどちらかを優先させるかでもめることが往々にしてあるからです。日本人は自己が所属するコミュニティーを自らで定義することが完全に自由でないパターンが多くなります。コミュニティー的な価値が、個人的な価値よりも優先されると一般的にみなされるため、個人の価値判断に基づかずにどのコミュニティーに属するかを、その人が置かれている環境下で、状況を見ながら判断していかなくてはならないようになります。

3)クニ(国)コミュニティー

村から人口が増えると町ができていくことは社会的にごく自然に観察されますが、クニ(国)の発生はマチのように自然発生的に起こるものではありません。広大な面積と多くの人口を抱えるようになると、余剰生産物や余剰人口が発生しそれを管理・分配する仕組みが求められるようになります。ここで、国を統治するような支配者・権力者の存在が出現してくるわけですが、最初のうちはこのクニコミュニティーに属する人というのは、全人口のほんの一握りということになってきます。ですので、領土・領域的にあるクニに属する人々であっても、所属しているコミュニティーはあくまでムラ単位、マチ単位のものであり、クニのことは一切わからないというような人がたくさん出てきます。

一般的に、いくつかの例外的な地域を除いて、日本は有史以来江戸時代までクニコミュニティーに属していたのは、ほんの一握りの特権階級のみであったといえるでしょう。ある時代ではそれが皇族と貴族でしたし、ある時代にはそれが領主や武士であったりしました。こうした人々も当然ながら、自己の所属するコミュニティーを良くしようとします。しかし、領土的に国の中にある圧倒的多くの民衆はクニコミュニティーに所属しているという実感が持てませんから、当然ながらクニコミュニティーに積極的に参加・協力しようとはしません。

ところが、明治時代以降、国家主義と国民という概念が広まると、俄然多くの日本人は所属するクニコミュニティーを良くしていこうと張り切るようになりました。このことも、日本文明(とそれに属する日本人)が、「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」としている証拠になるでしょう。余談ながら、日本の学生や青年たちが大正・昭和の時代、最も国家主義にはまり込みやすく、過激な行動を繰り返したのも、国家を自らの所属するコミュニティーととらえ、それを良くすることに邁進し過ぎてしまったからとみることができるかもしれません。彼らの多くは農村部などから出てきて自己がムラ・マチコミュニティーから切り離されてしまっていたため、新たにクニコミュニティーに自己の帰属意識を重ねたと考えることができるとも筆者は考えています。なお、同時期に、国家神道という物理的な神社の代わりになる巨大な観念が生まれてきたことも偶然ではないでしょう。

4)組織型コミュニティー

時代が近現代に近づいてくるにつれて、社会や経済の仕組みのほうもますます複雑になっていくようになりました。そこで、地縁的・血縁的なムラコミュニティーを離れて、人間が結びつきあうようなグループ活動が観察されるようになります。

それが、組合や結、講、塾や学校といった組織です。特に組合は、日本文明のコミュニティー活動を新しい次元に乗せることになります。近代以前のムラコミュニティーといえば地縁・血縁的な関係性が非常に色濃かったのですが、社会と経済の在り方が発展してくると同じような利害関係を持つもの同士でネットワークを持ち、バラバラではなく連携して活動するほうが、自分たちの利益を確保したり拡大することができることに人々は気づきました。

人間の関係性はますます複雑になるのですが、ここでも日本文明の「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」という価値基準は変わりません。するとどうなるのかというと、ムラコミュニティーから組織型コミュニティーへと自己の所属をスライドさせるものが現れ、ある場合においてはムラコミュニティーの利益よりも、組織型コミュニティーの利益を優先することすら見られるようになりました。

同業者ごとの組織化は室町時代以降を活発に行われるようになり、江戸時代には世界的に見ても高度化した商業形態を形成するようになったと私は考えています。日本の複雑な商習慣はこの時代に原型を求められることが多いからです。

そして、ここでもやはり、神社が登場してきます。日本の組合は神社で寄合を開くことが多く、また商いの業種ごとに奉る神社が異なるという風習がありました。日本各地に今も残っているえびす講が最も代表的な事例ですが、他にもたくさんの組合行事と呼ぶべき祭礼が存在しています。要するに、同業者同士で集まれる絶好の機会として、こうした年中行事は役割を果たしており、そのことはムラコミュニティーの祭りと同じです。

こうして、地縁的・血縁的な関係を離れた人間関係においても日本人はコミュニティーを形成していきました。そして、日本文明の定義である「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」を自らの生活にあてはめていくことになったのです。

5)会社型コミュニティー

最後に見ていきたいのが、明治時代以降の近代に出現した会社型コミュニティーです。これは最もわかりやすいので「会社型」としていますが、団体や役場、そして行政機関などについても当てはまるコミュニティーの姿だと思ってください。

江戸時代幕末から明治時代になると、様々な西欧の概念が輸入されましたが、それらのうち社会的・経済的に大きなインパクトを持ったのが「法人」の概念でした。国家が定める要件をクリアしたものを「法人」と定め、法的な人格を持たせるという極めて概念的な存在でしたが、日本文明は既知のごとくすんなり受け入れてしまいました。これは江戸時代までに発達した組織形態(たとえば「藩」など)が、準法人のようにふるまっていたことと関係していると推察されますが、本題から外れるためここでは詳しい考察は控えます。ちなみに、ここでいう法人は法をよりどころにした法的主体という意味なので、「会社」に限らず、団体(たとえば農協や労働組合など)や、自治体行政組織、そして政府機関なども含まれることに注意してください。

そして、明治時代以降爆発的な勢いで法人が増えていきます。明治時代に活躍した渋沢栄一などは、その生涯に数百の会社の立ち上げに関係したといわれるほどです。そして、日本の場合、他国と比較して面白いと私が考えるのが、会社自体がコミュニティーになったことです。このことは、西欧でも似たようなことが観察できるのですが、心理的な部分で西洋諸国と日本では大きく相違があるように私は感じています。

西洋、特にイギリスやアメリカなどの英米法に基づく社会においては、あくまで個人が経済活動の主体です。法人という存在も、あくまで個人がビジネス上の理由から作ったものであり、法人と個人は対等の関係です。さらに契約社会が前提となっていることもあり、法人と個人は契約関係に基づいて、労働や従業などの経済活動を行っていると考えます。一方で日本人の精神構造は、会社という存在に自己の存在を重ね合わせ、自己を会社の中に埋没させてしまうがごとく、会社に入った途端に会社人として生きていくことが求められます。いろいろな要因がこのことに考えられると思いますが、こうした個人としての個性の埋没は、日本文明の特徴たる「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」に起因するとみなすと最も理解しやすいのではないでしょうか。要するに、会社がムラやマチや組織の代わりにコミュニティーになり、日本人はそこに「所属している」ことで精神的な安定を得て、自己が所属するコミュニティーを良くするという習性を発揮するのだと私は考えています。自分が所属していたムラコミュニティーよりも上位に会社型コミュニティーが位置するとき、日本人はムラのことをほとんど顧みず会社活動に勤しむのも、こうした日本文明と日本人の特性と考えるとわかりやすいのではないかと思います。

会社や法人という考え方は西洋文明の中で発明されたものですが、例のごとく日本は模倣が上手く、しかも日本人の意識にも適合性が高かったため、会社型コミュニティーは世界的に見ても最も効率が良いと思われるほど発達してしまいました。そして、神社の代わりになりうるものを日本人は見つけたのです。それが自社の製品・プロダクトです。ものづくり大国と自負し、一時期まで世界も認めていた日本の伝統であるモノづくりの精神は、会社コミュニティーと結びついて、その社内における人間の精神性や生活態度にまで強く影響を及ぼしたのです。

分かりやすい例として、自動車を考えてみましょう。トヨタや日産、ホンダにマツダ、スバルにスズキ、ダイハツ…と日本のメーカーはどれも多くの企業文化伝統を持っています。そして、トヨタ生産方式に代表されるように、各社の社員たちは自社の製品を良くするという工程そのものにのめりこんでいきました。このトヨタ生産方式などのプロセス、PDCAサイクルを回す様式が、ムラコミュニティーのころと非常に似通っているのです。そして、良い製品・プロダクトを作り出すためには、良い会社組織である必要があることに各社は気づきます。このため、あくまでもより良い製品を作り出すために、日々の改善運動は全社にわたって繰り広げられるようになっていったのです。今でも、世界中のビジネスの教科書でトヨタ生産方式など日本の会社の「やり方」が研究されるのはその表れです。

トヨタ自動車や京セラなどに代表されるように、会社の組織をより効率的にシステム化していくことは、太古の時代からムラコミュニティーを良くすることに励み続けてきた日本人にとっては慣れ親しんだ行為だったということができましょう。ですから、誰に命令されるでもなく、日本人は会社を良くすることに自発的に取り組みました。このことは、西洋の人々からも驚嘆され、賛美され、不思議がられるわけですが、そこに日本文明の特性とその文化的な背景があることがより理解されればと思います。

なお、今までは民間会社を対象に議論してきましたが、こうした日本人の特性は、省益を国益や国民よりも優先させようとする官僚組織や、自らが所属する企業の都合すら考えようとしない労働組合などにも当てはまります。こうした事態は、それぞれの構成員が、自己が所属するコミュニティーを良くすることを最上の志向としてしまったため発生したと考えると自然に理解できるでしょう。何事にもメリットとデメリットがあるもので、日本文明の特性が悪い方向に発揮されてしまうと、所属するコミュニティーを良くするために、他の利益または公益的価値をあまりにも疎外・阻害してしまう悪習もまた、日本文明からくる日本人の特性に含まれていることをここで注記しておきます。

さて、長々と日本文明の在り方でもある「自己が所属するコミュニティーを良くすることを共有体制とし、人々の生活を包み込むもの」について説明を続けてきました。なぜ、こうした説明が必要だったかというと、日本文明が今まさに危機に面しているということを伝えるためには、前提として日本文明とは何なのかという話が必要だったからなのです。

では、次章で、その日本文明が危機的状況に陥っている理由を見ていきましょう。

お願い

この本の趣旨にご賛同頂ける方はぜひご支援ご協力ください。
□ 本をシェアする

□ 本を購入する
こちらのサイトより本をご購入ください(税込み3,300円)
□ 電子書籍を購入する
こちらのサイトより電子書籍をご購入ください(税込み3,300円)

<<前のページへ   次のページへ>>